嘉永三年創業 伝統の味 丸大オヲツヤ
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オヲツヤの歴史
 「バタン、バタン」とこんにゃくを練る機械の音、ふと音が止まった太いホースの先から出てくるもの。それがバタ練り製造のこんにゃくである。今ではこの「バタ練り機械」を探すことも困難だ。「バタ練り機械」を使ったこんにゃく製造もまた、めずらしいのだ。
 先代(現会長稲村豊)は現役中、仕事道具をとても大切にする人でした。故障をしても一晩中かけて修理をし、翌朝にはいつもと変わらない「バタン、バタン」で始まる。 
 原料の量りから自動で行う現代の機械に比べ、何倍も何十倍も愛着のある、そして手間のかかる「バタ練り機械」。それをまた愛する「職人」マイスターである。 
 現在は、若い工場長にその「思い」が託され、今日もまた「バタン、バタン」を響かせている。 
 若い工場長を育成するマイスターもかつては父に学び、現在(いま)と同じようにこんにゃく造りをしてきたに違いない。
 昭和17年、独自に製粉工場を稼動し、利根川の水を引き、水車を回してこんにゃく粉をつくっていたらしい。こんにゃくの原料はこんにゃく芋という、イモ科に属していて 土から掘りおこしたばかりのこんにゃく芋を農家から買い受け、木桶に棒を差し込みイモを洗っていたそうだ。
数人がかりでイモをスライスし、棒に刺しては軒先につるし、刺してはつるし乾燥を繰り返しては、それを水車の石臼で粉にした。
自家製の粉は、自社工場で製造され、食べ物もろくになかった当時は、こんにゃくでも珍しく、それは、それは飛ぶように売れたらしい。自転車に荷台をつけた売り子さんたちが行列をなし、出来上がったその場からどんどん運んでは売りさばき、また列の最後尾につき、何時間となく待つ。売り子さんは当然女性で、「行商」といったほうが分かりやすいだろうか。上州空っ風 かかあ殿下はこんなところにもあったのだ。
 戦後、マイスターのそのまた先代は自家製のこんにゃくを煮て炊き出しを振舞っていた事も平成になって耳にする機会があった。心があったかくなった。その歳をとったおじいさんは、その炊き出しが今でも忘れられないと話してくださいました。この上なくうれしかった。本当にうれしかった。「おじいちゃんのこんにゃくだ」。 
 先先代は、炊き出しのこんにゃくをどんな思いで造っていただろう。「日本一のこんにゃくだ。だから元気を出して。」あの歳をとったおじいさんのように記憶のどこかにオヲツヤのこんにゃくを思い出して、また食べたいと思っていただけたらうれしい。 
 だから、オヲツヤはこれからも造り続けます。また食べたいと思って訪ねて下さるお客様のために。
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